27歳という若さで亡くなったジャン-ミッシェル・バスキアの数奇な人生

27歳という若さで亡くなったジャン-ミッシェル・バスキアの数奇な人生

皆様こんにちは。

残暑厳しい日々が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?

本日は、ニューカテゴリー、「アート」「インテリア&家具」を追加した中から一つアイテムをピックアップして掘り下げていきたいと思います。

本日のピックアップは「ジャン-ミッシェル・バスキア」です。

ジャン-ミッシェル・バスキア プロフィール

1960年生まれ。(1960〜1988)1960年にアメリカ、ニューヨークでハイチ系アメリカ人として生まれ27歳という若さでこの世を去った、20世紀美術の重要な巨匠の1人とされるアメリカ人アーティスト。

8歳の頃に自動車事故に遭い、脾臓を摘出。

入院中に母からプレゼントされた「グレイの解剖学」という本がバスキアの印象に深く残り、後の解剖学的なドローイングにつながることになった。

1980年にニューヨークでグループ展「タイム・スクエア・ショー」に参加。そこで初めて正式に作品を発表し、1981年にはキース・ヘリングやアンディ・ウォーホルらと共に「New York New Wave」展に参加して多くのギャラリーの注目を集めた。

また、バスキアは生前日本をたびたび訪れ、個展やグループ展を開催した。わずか10年の活動期間に3,000点を超すドローイングと1,000点以上の絵画作品を残し、1988年8月12日、急性薬物中毒によって27歳で亡くなった。

バスキアの存在が日本で広く知られるようになったのは、2016年に前澤友作氏が$5,700万(当時のレートで62.4億円)で落札した「Untitled (Skull)」の影響が大きい。

この価格は当時のバスキアのオークションレコードである。そして2022年5月にはオークションに出品された結果$8,500万(当時のレートで110億円)で落札されることとなった。

 

バスキアの作品の特徴

世界中の関心を惹きつける作品を多数残し、昨今評価が高まりつつあります。

黒人アーティストとして初めて世界的に高い評を得たとしても著名になりました。

その魅力はダイナミックでエネルギー溢れる彩色、またメランコリックで繊細な人間が持つ孤独感や社会に訴えかけるメッセージ。それらが人の心を打つのでしょう。

 

文字や記号

彼の作品の特徴その一は文字や記号を使うこと。

人種差別に関する文言や、聖書の言葉の引用など、社会批判的な内容やのアイデンティティにまつわることが書かれる傾向にがあります。

バスキアはグラフィティアーティスト出身でもあり彼独自の表現とも言えます。

解剖学

2つめの特徴は解剖学

プロフィールにもあったように「入院中に母からプレゼントされた「グレイの解剖学」という本がバスキアの印象に深く残り、後の解剖学的なドローイングにつながることになった」と言われています。

バスキアの作品で代表的なモチーフが頭蓋骨であるのですが、これも解剖学から得たインスピレーションだと言われています。

挑発的二分法(suggestive dichotomies)

挑発的二分法(suggestive dichotomies)とは「金持ちと貧乏」「黒人と白人」のように相対する二つのものに焦点を当てて制作し、その対比を強調するという表現方法。バスキアの社会批判的な作品にはしばしばこの特徴が見られます。

 

作品紹介

JEAN-MICHEL BASQUIAT UNTITLED (SKULL) 1981

《無題(頭蓋骨)》

これは前澤氏が2016年に$5,700万(当時のレートで62.4億円)で落札した同タイトル作品の1981年版。同じく頭蓋骨がモチーフとされており、解剖学からインスピレーションを受けた作品だが、こちらの作品の方がより人体の特徴に沿って描かれているように感じます。バスキアの頭蓋骨モチーフに関しては『グレイの解剖学』のほかにハイチ人であったバスキアの父親が信仰していたブードゥー教のシンボルが影響しているとも考えられています。

 

 

Jean-Michel Basquiat Irony of Negro Policeman

《黒人警察官のアイロニー》

バスキアの特徴でもある黒人をモチーフにした作品。バスキアは人種差別に言及した作品を多く制作し、自身も黒人アーティストと呼ばれることをとても嫌っていました。その中でもこの作品は「制度化された白人社会や腐敗した白人政権」を批判した内容で、アフリカ系アメリカ人の警察官が白人社会に抑圧されている様子を描いています。この作品でもバスキアの挑発的二分法の表現が使われており、バスキアの人種差別を扱った作品の中で極めて有名なものです。

 

JEAN-MICHEL BASQUIAT SIENNA, 1984

「Sienna, 1984」

この作品は、バスキアの独特なスタイルと技法を特徴としています。彼の作品は、鮮やかなカラーパレット、ダイナミックな筆致、図形やシンボルの組み合わせが特徴であり、ストリートアートやプリミティブアートの影響が見られます。
「Sienna, 1984」の主題や具体的な内容は作品の観察や解釈によって異なります。バスキアの作品はしばしば社会的な問題や人間の複雑さをテーマにしていましたが、具体的にどのようなメッセージや意図が込められているかは作品自体を見ることでより深く理解できるでしょう。

バスキアとアンディ・ウォーホル

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画像引用:https://cragycloud.com/

 

バスキアはアメリカのポップアートの巨匠であるアンディ・ウォーホルとも親交が深く、1984年から85年の間には2人のコラボレーション作品も制作しています。バスキアとウォーホルは1980年にレストランで会い意気投合、バスキアが自作のサンプルをプレゼントしたところウォーホルがその才能を見抜き、交流するようになります。

バスキアはウォーホルのスタジオである「ファクトリー」に出入りする人々、通称“スーパースター”の一員でした。1987年のウォーホルの死去にバスキアは大いに悲しみ、その死を悼んだ作品《墓石》を制作します。ウォーホルが亡くなった悲しみから薬物依存に拍車がかかり、翌年バスキアもヘロインの過剰摂取で亡くなりました。

 

バスキアの作品価格

バスキアは現在とても高い評価を受けており、オークションの際は高価格で取引されることが多い。その中でもとりわけ有名なのは、前澤友作氏が2017年に落札した《無題(頭蓋骨)》でしょう。日本でのバスキアの知名度もこの作品によって一気に上昇しました。落札価格は約141億4,240万円(約1億1,049万ドル)でバスキアのオークションレコード1位の作品。

亡くなってから、絵の価値が高騰するのはよくある聞く話です。モノの価格は需要と供給によって価格が決められます。欲しい人が多くいる中でそれが一つしかこの世に存在しない唯一のものになると価格は上がります。

そんな現象を引き起こすバスキアの作品は、そう簡単に入手することはできませんが、現在アートフレームとして楽しむことができます。彼のエネルギッシュ溢れる作品を身近に感じられるアートフレームはあなたに何らかのインスピレーションをもたらしてくれるかもしれません。

ニューヨークでハイチ系アメリカ人として生まれ、8歳の頃に自動車事故に遭い、脾臓を摘出し、その後、アンディウォーホールとの出会いからアーティストの仲間入りをして27歳で亡くなり、死後、作品の評価が高くなるという、なんとも数奇な人生を生きたアーティスト。アートフレームとして、ぜひお楽しみください。

下記のアートフレームの詳細はコチラをクリック。

 

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